概要
千葉県成田市三里塚の新東京国際空港(現・成田国際空港)と東京の都心部を連絡する空港アクセス鉄道として計画された、新幹線鉄道の建設線。
1960年代の高度経済成長で国際航空線の輸送量が増大し、東京国際空港(羽田空港)の国際線発着能力も限界に近づきつつあった。このため国は1966年7月4日、羽田空港に代わる新しい国際空港を三里塚地区に建設し、東京都心部と新空港を結ぶ「高速電車」を運行することを閣議決定した。この「高速電車」は東海道新幹線と同じ方式で整備することが模索され、1966年5月30日策定の新全国総合開発計画(新全総)で成田新幹線の建設が盛り込まれた。
その後、新幹線鉄道による全国的な高速鉄道ネットワークの整備を進めることを目指した全国新幹線鉄道整備法が1970年5月18日に公布されたことから、成田新幹線も同法に基づく新幹線鉄道として建設されることが決まり、1971年1月18日に東京都~成田市間の基本計画が決定。1月19日には日本国有鉄道(国鉄)と日本鉄道建設公団(鉄道公団)に対して成田新幹線の調査が指示され、両者は30日に設計最高速度を260km/hなどとする調査報告を行った。これを受けて4月1日には整備計画が決定するとともに、鉄道公団に対して建設が指示され、1972年2月10日に工事実施計画が認可された。
当初は1976年度の開業を目指して1974年2月1日に着工したが、成田新幹線が通過する東京都江戸川区などの沿線自治体や住民が、都市計画のやり直しや騒音を懸念して新幹線の建設に強く反対したことから、成田市土屋~成田空港間と成田空港駅の路盤以外は実質未着工のまま推移した。このため、1977年ごろから新幹線以外の方策でアクセス鉄道を整備することが模索されるようになり、1983年5月には成田市土屋~成田空港間の路盤完成をもって工事が凍結。1987年4月の国鉄分割民営化に伴い基本計画も失効した。
国鉄が1974年の時点で想定していた運行計画などによると、設計最高速度は260km/h、運転速度は最高250km/h、標準130km/hで、東京~成田空港間の所要時間は最短30分。運転本数は1976年時点で1日あたり片道36分、1986年時点で片道41本としていた。列車は1976年時点で6両編成、1986年時点で12両編成とし、いずれも1両は荷物車とすることを想定していた。
データ
線名 | 成田新幹線 |
営業 | 日本国有鉄道 |
建設 | 日本鉄道建設公団 |
区間・駅 | 東京~千葉ニュータウン~成田空港 |
距離 | 65.0km |
軌間 | 1435mm |
電化方式 | 交流25000V |
単線・複線 | 複線 |
手続き年表
1971/1/18 | 基本計画決定 |
1971/4/1 | 整備計画決定 |
1972/2/8 | 工事実施計画(その1)認可申請 |
1972/2/10 | 工事実施計画(その1)認可 |
1987/4/1 | 日本国有鉄道改革法等施行法の施行により基本計画失効 |